モデル辞めてから何してたの?その②
景色は秋ですが気候は冬。そしてどんよりな日々が続きます。。。辛い。
前回はブログを更新していなかった期間のことについて書きました。 今回はその続きを。
「最後のモラトリアムから再就職」
実家の時が止まった部屋を改装し終わり、髪の毛も黒髪に戻り、
ごくたまに、ダイレクトで依頼が来た仕事をしつつ・・・。
最後のモラトリアムをめいいっぱい楽しんでいました。
ずっと未踏地だった山形県にも行け、全国踏破できました。
そうこうしていたら、今の主人と出会い、あれよあれよと結婚が決まりました。
ただ私は地元での就職が決まっている。
しかも実家の部屋も改装したところ!
平成30年春には住んでいた大阪から奈良の田舎の実家へ引越し、
再就職、
結婚、そしてまた引越し。
そういえば、大阪から奈良に引っ越す当日、住んでいたマンションの前で大きな
暴行事件があって(多分犯人はその道の方。被害者はマンションの住人)、すご
い騒ぎになってたの思い出した(夕方のニュースにもなっていたようで)。
すごい追い出しやな と 苦笑
そして引っ越し後、実家には結局2か月ほどしか住まず。
平成最後の年にふさわしい?怒涛の数か月となりました。
再就職先は地元。でも地元に帰るのは高校生以来だったので浦島太郎状態。
変な経歴の私も暖かく受け入れて下さり、心地よく仕事をすることができました。
保健師採用なため、地域包括支援センターに配属。
大学院時代には介護予防関連の研究をしていたので、多少は役に立ちました。
ただ、
大学院生から風来坊のような生活を10年近くしていたので、
毎日同じ時間に出勤するのは中々ハードでした。
「稼業の林業に目覚める」
保健師として就職した少し前から、実家の稼業である林業にもとても関心を持ち始めました。 ただ、杉と桧の違いもわからない(何なら伐られた状態だと未だにわからない)
そして斜陽産業の代名詞と言っても過言ではない林業。
ただ、祖父の遺した山をこのまま放置しておくのは自分の心が許しませんでした。
仕事の合間に山に入ったり
木材市場に競りを見学に行ったり。
少しずつ山の勉強や、地域の山の仕事をしている方々とも繋がりを持つことができました。
そして、世界を巻き込んだ、あの、コロナ騒動が起きました。
つづく。
ほなまたのち
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